NHK連続テレビ小説『エール』が3月30日から放送されています。
主演の窪田正孝さんが演じる昭和の作曲家・古山裕一のモデルとなった人物がとても偉大な方なのでご紹介します!
昨日の #ゲゲゲの女房 でしげーさんとアシトリオが一堂に会した奇跡の回を見せてもらったのですが、窪田正孝くん演じる次期朝ドラの主人公 #小関裕而 さんの本が今月発売になっております。
中公新書です。お見知りおきを〜☆*。#エール pic.twitter.com/3HxMvNQ799— まなみ@鎌倉殿の13人 絶賛待機中。 (@manamiiz) November 25, 2019
その人物とは『古関裕而』(こせき ゆうじ)
朝ドラのモデルになるほどの人物ですので、どれだけの偉業を成しとけた人物なのでしょうか?
古関裕而さんのプロフィールをはじめ、小関裕而さんが手がけた有名曲をご紹介したいと思います。
古関裕而さんのプロフィールや経歴
幼少期
1909年(明治42年)8月11日、福島県福島市大町にあった呉服屋「喜多三(きたさん)」に長男として生まれ、幼い頃から音楽好きだった父親の影響でレコードを聴き、音楽のなかで育ちました。
幼い頃から独学で作曲をしていたそうです。
1916年(大正5年)、7歳のときに福島県師範学校附属小学校へ入学。
担任の遠藤喜美治さんが音楽の指導に力を入れていたこともあり、古関裕而さんは10歳頃には楽譜が読めるようになり、自ら市販の妹尾楽譜などを買い、ますます作曲に夢中になっていきました。
クラスメイトも詩を持って古関裕而さんに作曲を依頼してきたそうです。
古関裕而さん、幼い頃から作曲に関してズバ抜けた才能を持っていたんですね。
青年期
古山裕一・音夫婦のオフショットをお届けします!
この日初めて役衣装で会ったお2人でしたが、すでに長年連れ添った夫婦のようでした🙌#朝ドラエール#窪田正孝 #二階堂ふみ pic.twitter.com/wrPmXYvUX7— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) April 5, 2020
1922年(大正11年)、古関裕而さんは家業を継ぐために旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学していますが、じつはこの学校に音楽家が多いことが目的だったそうで、常にハーモニカを携帯し学業より作曲に夢中でした。
この時も妹尾(せおの)楽譜や山田耕筰著の「作曲法」等本を読み作曲を独学で学んでいます。
校内弁論大会では古関裕而さんがハーモニカで音楽をつけることになり、書き溜めていた曲を合奏用に編曲して大勢で演奏。初めて古関裕而さん作品が披露された瞬間でした。
現代にこんな中学生が存在するのでしょうか?
しかし家庭では、古関裕而さんが在学中に家業の呉服店が倒産してしまいます。
家計は大丈夫だったのでしょうか?その辺りは朝ドラ『エール』で見てみることにしましょう。
学校を卒業する頃から、日本でも有数のハーモニカバンド「福島ハーモニカーソサエティー」に入団。古関裕而さんは作曲・編曲・指揮を担当。
卒業後は川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に勤務しています。銀行に就職できるくらいですので頭も良かったんですね。
この頃に学生時代から憧れていた作曲家・山田耕筰さんの事務所へ楽譜を郵送し、手紙のやり取りを行っていたそうです。
コロムビア専属の作曲家へ
第1回放送の冒頭で、フォークシンガーになった窪田さんが燃やしていた写真を公開🎸
撮影はクランクインより先に行われましたが、お2人の息はすでにピッタリ!終始ノリノリだったそうですよ♪
公式インスタには「写真を燃やすシーン」のメイキング映像も👀#朝ドラエール#窪田正孝#二階堂ふみ pic.twitter.com/cUc6MeQpF1
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) April 5, 2020
1929年(昭和4年)、管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、入賞を果たしています。
これは日本人初の国際的作曲コンクールにおける入賞という快挙で、当時の新聞でも大々的に報道されました。
このことがきっかけで結婚へとつながっていきます。
この報道をみた声楽家志望の愛知県豊橋市在住の内山金子(きんこ)さんが、古関裕而さんにファンレターを送り、熱烈な文通を経て1930年、古関裕而さん20歳、金子さん18歳でスピード結婚。古関裕而さんはとても愛妻家で、晩年までおしどり夫婦だったそうです。素晴らしいですね。
1930年9月にレコード会社・コロムビアの顧問山田耕筰さんの推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられ、夫婦で上京しました。
しかし、コロムビア入社は主に生活費のためであったと考えられており、古関裕而さん本人は作曲の勉強のための洋行を希望していましたが、それは叶いませんでした。
その後、戦時中は戦時歌謡で数々の名作を残しており、戦後も暗く不安な日本を音楽によって明るくするための活動に力を注ぎました。
長崎だけにとどまらず日本全体に向けた壮大な鎮魂歌「長崎の鐘」。戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌「とんがり帽子」。戦後日本の発展の象徴でもある1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた「オリンピック・マーチ」。現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」など、数々の名曲を作り続けました。
その後も数々の歌謡曲、応援歌、校歌などを作り続けた古関裕而さん、1989年(平成元年)8月18日、脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院で亡くなりました。享年80歳。
その功績が称えられ、生前1969年(昭和44年)に紫綬褒章受章、1979年(昭和54年)に勲三等瑞宝章を受章しています。
更には古関裕而さんの亡くなった後、国民栄誉賞の授与が遺族に打診されましたが、長男の「元気に活動しているときならともかく、亡くなったあとに授与することに意味があるのか」という没後追贈の疑問から、辞退したといわれています。
そして2020年、古関裕而さんの半生をモデルにしたNHK連続テレビ小説『エール』が放送されることになりました。
古関裕而さんの有名曲
数ある古関裕而さんの生み出した名曲の中から、特に有名な曲をご紹介したいと思います。
「紺碧の空 ~早稲田大学応援歌~」1931年(作詞:住治男)
「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」1950年(作詞:小島情、歌:伊藤久男)
「花売馬車」1955年(作詞:西條八十、歌:美空ひばり)
1961年「モスラの歌」(作詞:本多猪四郎、田中友幸、関沢新一、歌:ザ・ピーナッツ)
「巨人軍の歌(闘魂こめて)」1963年(作詞:椿三平、歌:守屋浩、三鷹淳、若山彰)
「オリンピック・マーチ」1964年
「我ぞ覇者 〜慶應義塾大学応援歌〜」1970年(作詞:藤浦洸)
古関裕而(朝ドラエール)の有名曲は?美空ひばりや巨人阪神応援歌|モスラ|慶応や早稲田応援歌まとめ
幼少期からズバ抜けた才能で作曲を続け、生涯を通して音楽で日本にエールを送り続けた古関裕而さん。
3月30日からスタートした朝ドラ『エール』も楽しみですね♪